興和グループの歴史
The History of Kowa Group
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- 綿布問屋「服部兼三郎商店」創業
- 興和グループの社歴は、1894年、創業者・服部兼三郎が自らの名を冠して興した個人商店「服部兼三郎商店」にまでさかのぼる。当初、手掛けたのは、絞や知多木綿の集荷であった。
- 三輪常次郎、海外各地に出張・駐在
- のちに株式会社服部商店社長に就任する、若き日の三輪常次郎が1906年から中国、台湾などアジア地域へ出張・駐在を開始。
三輪常次郎は二十歳を超えたばかりであったが単身で海外に渡る。
精力的に各地へ出かけ海外市場拡大に貢献することとなった。
- 「第十回関西府県聯合共進会」にて一等賞を受賞
- 当時、国内最大規模の博覧会であった「第十回関西府県聯合共進会」に取り扱い製品を出品。この博覧会では全出品を審査の上、賞が与えられるが、当社の「白木綿」は製品の品質を評価され最高の一等賞を受賞。この事実は服部兼三郎商店が売り上げ規模だけでなく品質管理やブランド戦略の面においても一流の域に達していたことを物語る。
- 「株式会社服部商店」創業
- さらなる事業拡大のため株式会社へ移行し「株式会社服部商店」へと商号を改めた。株式会社への移行により社内体制の明確化が求められた。経営の近代化である。
株式会社服部商店が綿布問屋から脱皮し、繊維商社としての次の飛躍を果たす上で、不可欠なステップであった。
- 桜田工場を新設し織布業を開始
- 株式会社服部商店は繊維産業へ本格参入すべく織布業を手掛けることとなった。桜田工場設立当時の設備は糊付機4台、織機308台であったが、のちに第二工場、第三工場まで増設され最盛期には織機1,164台を有する織布工場へと発展していく。
- 石田退三 入社
- 後年「トヨタの大番頭」として名を馳せる石田退三もこの時期当社に勤務し大きな足跡を残した。入社後に早速、上海に駐在。
持ち前の商魂・商才を遺憾なく発揮して大きな実績を残しているほか、経営難に陥った際には、三輪常次郎とともに東奔西走し、会社再建に寄与した。
- 熱田工場を新設し紡績業を開始
- 株式会社服部商店初の紡績工場:熱田工場を設立し紡績業にも進出することとなった。設備購入に苦労したゆえに実際の操業開始は1919年となってしまったが、その後は順調に機械・建物を増強し、当社主力工場へと発展を遂げていった。
- 専務 三輪常次郎 就任
(専務=当時当社における最高責任者のポスト)
- 株式会社服部商店代表であった服部兼三郎が市況暴落による経営難を苦に自ら命を絶つ。後を継いだのは三輪常次郎。
常次郎自身の財産を会社の債務の担保として投げ出し、会社からの報酬受け取りは一切固辞した。そういった姿勢・気概は社員の間にも広がっていった。常次郎は全国の店員をまとめあげて再建への道を切り開き興和グループの今日に至る繁栄までの礎を築くこととなる。
- 福井工場を新設
- 福井工場の設備は紡機7,600錘、織機256台で始まり、以後徐々に増設を重ねていった。
- 関東大震災による被害
- 1919年の好況時、首都圏進出の足掛かりとして、東京出張所と横浜工場を設けたばかりであったが、この天災はこれら二つの拠点を瞬時に破壊してしまった。
- ボンベイ(現 インド:ムンバイ)に初の海外駐在員事務所を設置
- 明治時代後期から社員を海外に派遣してきたが、輸出増大に伴い、1935年を過ぎる頃から海外各地に出張所・駐在員事務所を設置し、駐在員を常駐させる形態に切り替えていった。1931年以降、インドは中国を抜いて日本の最大の輸出相手国となっていた。そうした重要性からボンベイに海外初の駐在員事務所が設けられた。
- 満州見本市における当社品展示
- 満州見本市において、矢田川工場で捺染された当社商標製品が展示された。当時は日本の綿業がその最盛期に向けて順調な発展を遂げていった時代であった。株式会社服部商店の事業もまた好調であり海外取引も増大していた。
- 名古屋汎太平洋平和博覧会に出品
- 名古屋汎太平洋平和博覧会にて、出品した「双童細綾」が、名誉賞牌ならびに優良国産大賞牌を受賞。三輪常次郎は同賞受賞者の総代として賞状を授与された。しかしながらこの平和博覧会の一か月後には日中戦争開戦となり日本は以後8年間に及ぶ泥沼の戦いに突入してしまうこととなる。
- 和歌山工場を新設 縫製業の開始
- 和歌山出張所の一角に本縫ミシン30台を設置し、縫製業を開始した。 株式会社服部商店初の縫製工場である。これにより紡績、織布から染色、縫製に至る一貫生産体制が完成した。
- 商社部門と紡績部門を分離
- 統制経済政策推進中の商工省(現 経済産業省)からの会社分割の指導に基づき、
・商社部門 株式会社カネカ服部商店(現 興和株式会社)と
・紡績部門 株式会社服部商店(現 興和紡株式会社)
に分離独立して商工分離がなされた。
- チリ駐在員事務所を新設
- チリでは日本から仕入れた「オスナブルゴ」(大番手糸で織った小麦粉袋用綿布)、晒綿布、先染綿糸の需要が増加。1941年には戦略物資としてコバルト鉱石をチリから日本に積み出したこともあった。
- 初めて「興和」の商号を使用
- 当時メーカー部門を担っていた興亜紡績株式会社を興和紡績株式会社に商号変更。商号変更は日本の平和と社業繁栄を「平和を興す」という「興和」の名に託した真摯な期待と決意をこめたものであった。
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- 興和光器製作所を設立し光学事業に参入
- 新事業部門として興和光器製作所を新設。眼鏡レンズ・オペラグラスの製造を始めた。その後、映写レンズ・スポッティングスコープ・観光用望遠鏡など幅広い製品を取り扱うこととなる。
- 興和化学を設立し医薬事業に参入
- 戦後の平和産業として人々の健康を守る医薬事業に新規参入。名古屋に興和化学名古屋工場と東京に興和化学東京研究所を設立。新規参入事業につき当初は製造面で苦戦するも徐々に新薬の開発に取り組み、当社の一大事業に成長していくこととなる。
- かぜ薬「コルゲンコーワ」発売
- 日本で初めて抗ヒスタミン剤を配合したかぜ薬として発売された。コルゲンの名前の由来はコールド+アレルゲンである。
- スポッティングスコープを日本で初めて発売
- スポッティングスコープを日本で初めて製品化した。元来射撃競技の標的を観察する目的で開発されたものだが、光学的性能のよさと堅牢な作りで、次第に海外市場を席巻した。のちに1964年の東京オリンピック射撃競技では当社製品が採用され活躍した。
- 本店を現住所に移転
(現 名古屋市中区錦3-6-29)
- 旧住所の社屋が手狭になってきたため名古屋市中区に興和グループの中枢にふさわしい新社屋を建設することになった。
グループ会社の本社機能の統合が成され業務の格段の効率化が図られた。
- 総合ビタミン剤「キューピーコーワ」発売
- “Quality & Perfect”というコンセプトのもと、栄養不足の社会背景からビタミンの補給を目的として初代「キューピーコーワ」を発売。
- 興和新薬株式会社設立
- 当初、医薬品はすべて既存の薬品問屋を通じて販売されてきた。しかし薬品問屋の経営不振を契機に、その後の販売ルートは自前の販売組織をつくることとし、興和新薬株式会社を設立するに至った。
- 代謝賦活剤「アデホスコーワ」発売
- この医薬品は日本初のATP(アデノシン三リン酸二ナトリウム水和物)製剤として注目を集めた。
- 木材・化成品の取り扱いを開始
- 合板の原材料としてフィリピン・ミンダナオ島から木材の輸入を開始。また同年、当初は他の輸入商社から購入していた薬品原料の自社での取り扱いを開始することとなった。
- 興和ゴルフセンター開場
- 戦時中に熱田工場は空襲で建物のほとんどを焼失した。旧工場は名古屋の都心にあって約4万坪のまとまった敷地であった。
そのような中、昭和30年代に入りゴルフ人口が増加してきたためゴルフ練習場を建設することとなった。
- Kowa American Corporation設立
- 1955年にニューヨークにてKowa Optical Corporationが設立。業務も社名も光学に限られたものであったが、その後1958年にKowa American Corporationに改称。取扱品目も光学機器、電子機器、雑貨、繊維など多岐にわたった。
興和グループの新たなリーダーに就任
- 三輪常次郎の三男として名古屋市にて生誕。1959年より興和紡績株式会社・興服産業株式会社・興和新薬株式会社の三社の社長を兼任して興和グループを率いていくことになる。社長就任後、紡績事業に加えて、戦後の事業多角化を進め、医薬事業、商社事業などの発展を推進し、今日の興和グループを築き上げてきた。
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- 「興和株式会社」に商号変更
- 興服産業株式会社の商号は「興和株式会社」に変更となった。
これにより興和紡績株式会社、興和株式会社、興和新薬株式会社と三社が同じ「興和」の名を冠することになり、商号の上でも「興和グループ」が確立することとなった。当時から既に医薬品には「コーワ」のネーミングが使用されていたため、社名変更はマーケティングの上でも大きな利点を持つものであった。
- 総合胃腸薬「キャベジンコーワ」発売
- キャベツに含まれるMMSC(メチルメチオニンスルホニウムクロリド)に注目し、同成分を主成分とする製品開発を進め、胃腸薬「キャベジンコーワ錠」を発売した。発売からこれまで、社会環境や時代のニーズに合わせて製品改良を続けており、今後も世代を超え日本の胃を守り続ける胃腸薬として進化し続けていく。
- 眼底カメラ「コーワRC」発売
- 眼底カメラ「コーワRC」を開発し、その後の医療用機器開発につながった。この眼底カメラは手持ち式の特性を生かし、動かすことのできない患者の診察、集団検診などで広く使われた。
- 欧州へ進出開始
- ブリュッセルに駐在員事務所を開設。日本から光学製品の対欧輸出を中心に、欧州からは日本向けに物資、建材、機械、化学品などを扱い順調に業績を伸ばしていった。
- 機械類の輸入を開始
- 機械輸入は、イタリアからカプセル充填機を輸入したのが始まりである。
- 医薬品新工場として富士工場を設立
- 富士工場設立により既存の名古屋工場とあわせて2工場体制となった。名古屋工場が小ロット多品種生産に携わり富士工場ではキャベジンなど量産品の製造を中心とすることとした。
- 虫さされ・かゆみ止め薬「ウナコーワ」発売
- すぐに塗れる液体タイプの虫さされ・かゆみ止め薬として発売。「ウナ」という名称はウナ電=至急電報に由来し、かゆみに素早く効くようにという思いが込められている。
- 不動産事業へ参入
- 興和地所株式会社を設立し不動産事業へ参入。建売住宅およびマンションの分譲を中心に事業を展開していった。
- 釣具の輸出を開始
- 釣具の欧州向け輸出を開始した。
現在では米国・アジア・欧州・オセアニア地域を中心に販路を広げ世界中に200社以上の取引先を有している。
- フィリピンで活性炭製造事業を開始
- フィリピン・ダバオにPhilippine-Japan Active Carbon Corporationを設立。ヤシ殻を原料とする活性炭の製造を開始。
- 名南三菱自動車販売株式会社を設立
- 自動車の販売やメンテナンスを手掛ける名南三菱自動車販売株式会社を設立。
- 印刷事業を開始
- 三興印刷株式会社を設立し印刷事業へ進出。興和グループ内では商品パッケージなどの印刷を手掛けた。
- 「ケラチナミンコーワ」発売
- 日本で初めて尿素を配合した一般用医薬品のクリームとして発売。これにより尿素製剤を薬局・薬店で購入できるようになった。
- 富士研究所・調布研究所を新設
- 医薬品研究は1964年以降東京研究所一か所で行われてきたが、研究設備の更新・拡充のため富士研究所を新設した。また電機光学事業部の研究開発は蒲郡・調布の両工場の技術部において進められていたが、さらに先端の技術開発に取り組み、また基礎研究の領域にも挑戦していくための拠点として調布研究所が設けられた。
- 外用鎮痛消炎薬「バンテリンコーワ」発売
- 一般用医薬品で初めてのインドメタシン局所浸透薬として発売。現在でも製剤改良に注力し、社会環境の変化に応じて処方変更から容器改良まで常に進化を続けている。
- Kowa Europe GmbH 設立
- 欧州地域でのスムーズなビジネス展開を目指してドイツ・デュッセルドルフにKowa Europe GmbH を設立。
- 興和総合科学研究所を設立
- 医薬・電機光学に関わる基礎研究、ならびにその双方にまたがる境界・学際領域の研究を行う興和総合科学研究所を設立した。
- 興和グループ新本社ビル完成
- 清家 清(東京藝術大学教授)の設計による建物は、興和グループの新しい本拠地にふさわしい斬新な構造が採用された。本館と南館の2棟からなり、5階・10階には両ビルをつなぐブリッジ式通路を設けた。
- 「レーザーフレアーセルメーターFC-1000」発売
- 先端的レーザー応用技術の成果となる
「レーザーフレアーセルメーターFC-1000」は、興和株式会社と東京大学と自治医科大学によって共同開発された。その後も改良を重ねて、多くの眼科臨床現場にも置かれるようになり、白内障治療の眼内レンズ(IOL)挿入などによる目の炎症の診断に用いられている。
- Kowa Asia Ltd.を設立
- Kowa Asia Ltd.を設立し、中国繊維品の日本向け輸出に重点を置いた事業を展開した。
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が興和社長に就任
- 国内はもとよりグローバルな視点で、川上から川下まで一貫したバリューチェーン構築を模索しながら興和グループ全体の事業活動を指揮していくことになった。興和グループは
新社長のもと、積極的な経営で困難な時代を切り開いていくことになる。
- 浜松工場を新設(医療機器製造)
- 眼底カメラなどの医療機器を製造する浜松工場を新設した。
- 「Kowa Research Institute, Inc.」を設立
- 米国の研究開発拠点として Kowa Research Institute, Inc. を設立し、今後の米国展開に備え研究開発体制の足固めを行った。
- ホテル事業に本格参入
- 株式会社名古屋観光ホテルを子会社化してホテル事業に本格参入することとなった。
- 英国現地法人「Kowa Pharmaceutical Europe Co. Ltd.」を設立
- 欧州での医薬品製造販売を行う新会社 Kowa Pharmaceutical Europe Co. Ltd. を設立した。この設立により、欧州での研究開発、製造販売までの一貫体制が整った。
- 高コレステロール血症治療剤「リバロ」発売
- 高コレステロール血症治療剤「リバロ錠」の製造承認を取得した。その後国内のみにとどまらず海外にまで販路は広がった。
- オーガニックコットン「テネリータ」発売
- 農薬や化学肥料を使用せずに栽培されたオーガニックコットン製品を販売開始。ブランド名は「テネリータ」と命名されタオルなど生活用品中心のラインアップを取り扱っている。
- 日研化学株式会社を子会社化
- リバロ錠の製造承認を取得し、同製品の販売に注力する中でMR1,000名体制が必要不可欠だと判断した。さらに、世界規模での競争激化に伴い、グローバル化された研究開発・販売体制の構築が急務となっていた。そこで日研化学との積極的なアライアンスを通じてさらなる事業規模の拡大が必要と考え日研化学株式会社を子会社化した。
提携関係を推進するため、興和株式会社は2006年に日研化学株式会社を完全子会社化し、両社の営業部門を統合した。日研化学株式会社は、興和グループ医療用医薬品事業の中核企業として、商号を興和創薬株式会社に変更した。
- 「三次元マスク」発売
- 高機能かつ高快適性を兼ね備えた三次元マスクシリーズを発売。画期的なスペックはその後のマスク市場に大きな影響を与えた。
- ProEthic Pharmaceutical, Inc. 社の買収を行い、社名を Kowa Pharmaceuticals America, Inc. に変更
- 米国における医療用医薬品・リバロ錠の販売、後続パイプラインの確保を目的にプロエチック社(ProEthic Pharmaceutical, Inc. )を買収した。これにより日欧米、世界三極での販売体制が確立した。
- マスコットカエル「ケロちゃんコロちゃん」誕生60周年
- 1949年に新聞広告のイラストで登場して以来、同年よりかぜ薬コルゲンコーワシリーズのキャラクターとして愛されている。誕生60周年を迎え船上パーティーの開催などイベントを行った。
- ボストンに医薬品の研究開発拠点となる「心臓血管科学研究所(CICS)」を設立
- CICSは、心臓血管科学研究における発見および発展を目的とし、興和株式会社の研究員とハーバード大学付属病院の科学者が協働する研究施設。興和株式会社はハーバード大学医学部の最先端研究とのコラボレーションにより、当社の技術基盤の拡充とパイプライン(開発テーマ品)の研究促進を図っている。
- 興和紡績株式会社が興和紡株式会社と合併
- 興和紡績株式会社は興和紡株式会社と2010年11月1日付で合併した。興和内で歴史的な役割を担った興和紡績の名称は廃止となったが興和グループ内の経営の効率化、および事業の再構築がなされ、さらなる飛躍を目指す体質改革ができたことは確かである。
- 株式会社丸栄を子会社化
- 丸栄は、前身の「十一屋」から数えると400年以上の歴史を持つ百貨店であり、長年、名古屋・栄の顔となっていた。しかし、2000年代に入ると名古屋駅前を中心とした再開発や、後発の百貨店の台頭、さらにはリーマンショックによる消費の落ち込みにより客足が減少、業績が急激に悪化した。この状況に対応すべく、再建のパートナーとなったのが同じく名古屋発祥の企業である興和株式会社であった。
- 富士太陽光発電所を竣工しメガソーラー事業へ参入
- 「健康と環境」の一環として再生可能エネルギーを利用したメガソーラー事業で、脱炭素社会の実現に貢献することとなった。「富士太陽光発電所」の敷地面積は20,583㎡。そこに太陽光パネル約6,100枚を設置し、年間約150万kWhを発電することとなった。
- 浜松工場(医薬品工場) 新設
- 東日本大震災を契機にリスク管理の一環として、製造拠点の分散化を図るため、同工場を新設し、海沿いの富士工場で生産している医薬品の一部を高台に建つ浜松工場へ移管した。
- 株式会社ナゴヤキャッスルを子会社化
- 株式会社ナゴヤキャッスルを子会社化し、名古屋観光ホテルとあわせて名古屋で双璧をなす老舗ホテルの運営に本格的に携わる。
- グラナテック点眼液を発売
- 世界初の作用機序を有する緑内障・高眼圧症治療剤「グラナテック点眼液」を発売(一般名:リパスジル塩酸塩水和物)。
- 代表取締役社長
在名古屋タイ王国名誉総領事就任
- 代表取締役社長
は、タイ国王より「在名古屋タイ王国名誉総領事」を任命された。1956年に社内に開設した、タイ王国名古屋名誉総領事館を通じ、同国との友好関係発展に寄与した功績を認められたことによる。
- Kowa Holdings Europe AG 設立
- スイスにて、欧州における地域統括業務を担う会社として設立した。
- 江守商事株式会社(現 興和江守株式会社)を子会社化
- 江守コーポレーションから江守商事の株式を取得し、同社を子会社化した。
- パルモディア錠0.1mg発売
- 高活性かつ高選択なPPARαモジュレーター(Selective Peroxisome Proliferator-Activated Receptor α Modulator、呼称名:SPPARMα・スパームアルファ)の概念に基づいて、興和株式会社が世界で初めて自社創製した高脂血症治療剤「パルモディア」を発売した。
- 興和創薬株式会社(本社:愛知県名古屋市)を設立
興和新薬株式会社・興和創薬株式会社(本社:東京都中央区)を吸収合併
- 興和株式会社の100%子会社として一般用医薬品やヘルスケア用品などの販売を担当してきた興和新薬株式会社と、同じく興和株式会社の100%子会社として医療用医薬品の販売を手掛けてきた興和創薬株式会社を、親会社である興和株式会社が吸収合併した。新たな興和創薬株式会社(本社:愛知県名古屋市)は長期収載品とAG(オーソライズド・ジェネリック)の販売および情報提供活動を開始したが、2020年4月1日に解散し興和株式会社に吸収合併となった。
- ハワイで「エスパシオ・ザ・ジュエル・オブ・ワイキキ」開業
- 興和株式会社が初めて海外で開業した超高級ホテル。「エスパシオ」はスペイン語で「空間」を意味する。「未だかつてない驚きと感動、そして癒しを」をコンセプトに、ワイキキビーチを真正面に見渡す最高のロケーション、1フロア1室の全室スイートルームのほか、ラグジュアリーな「おもてなし」を提供している。
- 新型コロナウイルス感染拡大への対応
- 2020年初頭より世界各地で新型コロナウイルスの感染が拡大した。この危機に対して興和株式会社はこれまで培ってきた技術や生産力を駆使し、マスクなどの大幅増産に取り組むこととなった。製薬会社の使命として健康管理や日常生活の回復に貢献した。
- ホスピタリティ事業領域の拡大
- 国内外で挙式サービス事業を展開しているワタベウェディング株式会社を子会社化。興和株式会社のホスピタリティ事業領域は名古屋観光ホテルやエスパシオ・ザ・ジュエル・オブ・ワイキキなど既存のホテル事業に加え、既存のホテル事業とのシナジー効果が期待できるリゾートウェディング事業なども新たに手掛けることとなった。
- CO2排出削減を目指してアンモニア混焼技術の共同検証開始
- インドの有力企業である「アダニグループ」と共同でインド国内の石炭火力発電におけるアンモニア混焼実証に取り組み、CO2排出削減を目指すこととなった。また2022年末には同グループと新たに再生可能エネルギーから作られるグリーンアンモニアの販売に協力することに関して包括業務契約を締結。カーボンニュートラル達成に向けて共に貢献していく。
- 東京大学稷門賞を受賞
- 興和株式会社は、国立大学法人 東京大学の研究活動等の発展に大きく貢献したと 評価され、同大学より「東京大学稷門賞」を2022年9月27日付で受賞。「東京大学稷門賞」は、ボランティア活動や寄附講座等により同大学の活動の発展に大きく貢献した個人、法人または団体に対して贈呈される。
- 代表取締役社長
第74回愛知県表彰を受賞
- 興和株式会社代表取締役社長の
は、愛知県表彰条例(平成15年条例第6号)に基づく第74回愛知県表彰を受賞。 愛知県では、毎年、愛知県表彰条例に基づき、地方自治、産業、教育文化などの各分野において功績が顕著な個人・団体等に対する表彰を行っており、三輪社長は、薬業界の振興・発展に関する功績が評価され、「保健医療功労者」として受賞した。
- 「KOWA MILEAGE CLUB」新登場
- セルフケア推進をサポートするとともに、身体的・精神的・社会的に良好な状態であるウェルビーイングの実現に貢献することを目的に、各事業部をはじめ、関連会社を含めた興和グループ横断的な会員組織 『KOWA MILEAGE CLUB』を設立し、会員の皆様へのサービスおよび専用アプリの提供を開始した。
- Kowa Holdings Europe GmbH 設立
- 欧州統括会社 Kowa Holdings Europe GmbH 設立。
- キューピーコーワ ブランド発売70周年
- 「からだの疲れ・不調」に寄り添い続け、進化を続けるブランド「キューピーコーワ」 は、生活者を取り巻く環境の変化に対応するように製品の改良を続け、2024年5月におかげさまで発売70周年を迎えた。
- 代表取締役社長

2024年度 愛知県薬事功労者知事表彰を受賞
- 長年にわたり、薬業関係団体の役員として業界の発展と薬事衛生の普及向上に寄与した功績が評価され、興和株式会社代表取締役社長
は2024年度 愛知県薬事功労者知事表彰を受賞した。
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