興和生命科学振興財団 設立35周年記念

目先にとらわれない生命科学研究の推進を願って

千葉大学医学部附属病院 病院長
千葉大学大学院医学研究院 内分泌代謝・血液・老年内科学 教授
興和生命科学振興財団 評議員
横手 幸太郎

横手 幸太郎

興和生命科学振興財団の設立35 周年にあたり、心よりお祝いを申し上げます。

3年余り続いたCOVID-19 の世界的流行にも、ようやく出口が見えてきたようです。2019 年以前の自分を振り返ると、地球規模で考えれば マラリアや結核などが重要な疾患であることを理解しつつも、「感染症は過去の病気だ」という意識が少なくなかったと思います。COVID-19 の出現により、その思いが一気に吹き飛ばされたことは言うまでもありません。今回のパンデミックは、20 世紀初めに流行したスペイン風邪としばしば対比されます。スペイン風邪も、やはり約3年(1918 年から20 年まで)世界的に蔓延したとされますので、ともすれば「この間、人類には何の進歩も無かったのだろうか?」と考えてしまいそうです。しかし、航空機など世界的交通網の発達に伴う人の移動の増加は100 年前と比較になりませんので、本来ならCOVID-19 はより多くの死者数をもたらし、遥かに長い期間流行しても不思議では無かったことでしょう。感染拡大がこの程度で収まることができた背景に、mRNA ワクチンの早期開発という科学的イノベーションがあったことは、衆目の一致するところと思います。

この新型コロナワクチンの開発において、欧米が独り勝ちを収め、日本が取り残されてしまったのは大変残念なことでした。その原因は様々に考察されていますが、研究の「すそ野の広さ」の違いを無視することができないように感じます。わが国では、企業経営の定石の一つとされる「選択と集中」が、医療や科学研究の世界にも応用されがちです。しかし、そもそもこれらの分野には極端な効率化が馴染まない面があります。「はやりすたり」に影響され過ぎて、息の長い活動がしづらくなったり、将来大化けしうる活動の芽を摘んでしまうことにもなりかねません。

私は、1990 年代に、スウェーデンのウプサラ大学で、Carl-Henrik Heldin 教授(2013 年~ 2023 年ノーベル財団理事長)に師事する機会を得ました。Heldin 教授は、大学院生だった29 歳の時にPlatelet-derivedgrowth factor(PDGF)を血小板から精製することに成功し、その後、PDGF 蛋白そのものや受容体と細胞内シグナル伝達の解析を進めるとともに、同じく血小板に含まれていたTGF-βの研究を宮園浩平先生(現理化学研究所理事)と開始、受容体やSmad ファミリーの同定に至り、がんや動脈硬化など幅広い分野に応用される成果へと展開しました。当時、40 歳そこそこだったHeldin 教授が率いる研究所では、皆が自由な発想でのびのびと研究に取り組み、文字通り学問を謳歌する雰囲気に満ちていました。ウプサラ大学(1477 年設立)の講堂の壁には、スウェーデン語で「自由に考えることはすばらしい。しかし、正しく考えることはもっとすばらしい。」という意味の銘文が刻まれているのですが、まさにその精神が体現されていたと感じました。

日本では、大学病院においても、研究環境が年々厳しさを増しています。限られたマンパワーの中で診療の比重が高まり、研究に従事できる時間が少なくなる上、「医師の働き方改革」も追い打ちをかけようとしています。研究が無くなったら、大学病院はそれ以外の病院と変わらなくなってしまいます。我々の病院では、「ピンチをチャンスに変える」ことを心がけてコロナ禍を乗り切ってきましたが、その経験は今後の大学の研究にも通じると思っています。35 年の節目を迎えた興和生命科学振興財団が、これからも高い視座をもって日本の生命科学研究の発展、ひいては人類の幸福と福祉の向上に貢献されることを期待いたします。