興和生命科学振興財団 設立35周年記念

25 年前の自分を振り返ってみて

英国レスター大学 循環器内科 教授
ライフサイエンスアクセラレーター研究所 所長
医学生命科学研究科 副研究科長
東京大学医科学研究所 ゲノム予防医学社会連携研究部門 特任教授
鈴木 亨

鈴木 亨

この度は、公益財団法人興和生命科学振興財団の設立35 周年を記念し、過去の助成金受賞者として、令和時代の若き研究者へのメッセージとしての原稿依頼を頂き、誠にありがとうございます。また、貴財団におかれましては、35 年間にわたって、日本の若い医学者をご支援いただき、御礼申し上げます。

私は1997 年に受賞させていただきましたので、今から四半世紀前になります。当時の自分を振り返ってみると、まだ30 歳前後でラボを持たせていただいた直後で寝食を忘れて必死に没頭していた頃を思い出します。臨床をしながら、研究室員を集め、研究費も獲得し、研究を必死に進めていました。3 年目に若い研究者らとJournal of Biological Chemistry とMolecular and Cellular Biology という分子生物学の雑誌(当時はこれらがベンチマーク雑誌でした)に指導した論文が発表された頃です。同時に、自分の研究も進め、血管病の代表的な疾患である大動脈解離の国際的なレジストリー(InternationalRegistry of Acute Aortic Dissection)や生化学診断法の開発(平滑筋タンパク質であるミオシンやCK-BB アイソザイム、またカルポニンの測定系の開発、そしてD- ダイマーの応用)、そして自分が単離同定した転写因子KLF6 の機能解析を教授テーマであるKLF5 と併せて研究を進めていました。令和時代の若き研究者に伝えることがあるとしたら、当時は与えられた仕事以外に、自分の興味やテーマも追求したことです。そのために、研究資金を集めたり、時間外に働いたりしたことを思い出します。とにかく10 年以上にわたって、日本から海外に発信できる競争力のあるラボをミッションとし、プレイヤー兼マネージャーとして必死に働きました。

そうしたら、今から約10 年前に英国から突然連絡があり、教授として来ないかと誘われました。英国とはそれまで全く縁がなく、また日本から海外の臨床教室の教授の就任はほとんど前例がなかったので、期待と不安を抱きながら渡英した記憶があります。40 歳を超えての再挑戦となりました。渡英後は、医師免許、専門医の取得、研究室の立ち上げ、英国式教育法の理解と実践、管理業務や事務の理解などゼロからの再出発でした。今になってみると、かなり無謀な再挑戦でしたが、まだ若かったので、武者修行僧の気持ちでした。自分の成長を感じる貴重な時間でした。

英国では日本で培った経験を活かし、英国の循環器病の拠点病院で臨床を統括し、研究面ではコホート科学(フェノーム等)やデータサイエンスを先導し、また英国のSTEM 賞受賞者(日本の文科省若手科学者賞相当)を5 年以内に輩出しました。その後、大学のライフサイエンス戦略を任されるようになり、ライフサイエンス研究所の所長と医学生命科学研究科の副研究科長に就任しました。新型コロナが流行してからは、母校の医科学研究所にも籍を置かせていただき、日本での研究を再び進めるようになり、現在に至ります。

私の四半世紀にわたる経過を中心に述べさせていただきましたが、令和時代の若き研究者へのメッセージとしては、このような多様なキャリアパスを歩んできた先輩がいることを知り、参考にしていただければと思います。インターネットが発達している現在においては、日本での仕事はグローバルな視野で見られていますので、英語での発信をお勧めします。また、海外の研究者との交流やコラボレーションも重要です。私は幸運にも海外から評価され、海外へ渡ることになりましたが、今後の時代はこれまで以上にグローバル化された人材の流動が期待されますので、興味がある方にはぜひ挑戦していただきたいと考えています。